インドネシア ジャカルタでの就労日記

ジャカルタ生活を通しての日々の雑感

エックハルト・トール ニュー・アースを読む その4

世界をありのままに見る


言葉は発音されても、あるいは声にならず思考に留まっても、ほとんど催眠術のような力を及ぼす。
 言葉の前で人は簡単にわれを失い、何かに言葉を貼りつけたとたんに、まるで催眠術にかかったように、それが何であるかを知ったと思い込む。
ところが実際には、対象が何であるかなどわかっていない。
ただ、謎にラベルを貼っただけだ。小鳥も樹木も、そのへんの石ころでさえ、ましてや人間を究極的に知ることはできない。
 計り知れない深さをもっているからだ。
 私たちが感知し、経験し、考えることができるのは現実の表層だけで、海に出た氷山の一角よりも小さい。


その表面的な見かけの奥ではすべてが全体とつながりあっているだけでなく、すべてが拠ってきた「生命の源」とつながっている。
 石ころでさえ、花や小鳥ならなおさらのこと、「神」へ、「生命の源」へ、あなた自身へと戻る道を示すことができる。
 相手に言葉を付与したり、頭のなかでラベルを貼ったりせず、ただ手にとって、ありのままを見つめれば、驚異と畏敬の念が湧き起こるだろう。

第二章 エゴという間違った自己のメカニズム 世界をありのままに見る より抜粋


全てがつながっている事を認識する。
ヨーガの目的もこれにつきると思います。
身体がやわらかくなるとか、健康とかは、副次的なものでしょう。
やはり、せまい固定観念、因習に囚われていると、自分の心まで囚われるので、心が解放され、内部で変化がおこらない限り、物事の本質はいつまでたっても分からないのでしょう。
絶対的な自己を生まれた時から植えつけられ、それが宗教によってさらに強化されている西洋人も、東洋の思想である、ヨーガや瞑想に興味を持ち出しているんですから、地球全体で、大きな意識のうねりが起きだしているんでしょう。


西洋人は、過去に行った、侵略、植民地化、奴隷貿易などと、今後、どう向き合っていくんでしょうか。意識の変化がおこったあと。