インドネシア ジャカルタでの就労日記

ジャカルタ生活を通しての日々の雑感

感動のドッキリ

これは感動した。テレビなんか普段見ないけど、こうゆうのはありだな。

https://youtu.be/ibKh_HF4HcI

エックハルト・トール ニュー・アースを読む その4

世界をありのままに見る


言葉は発音されても、あるいは声にならず思考に留まっても、ほとんど催眠術のような力を及ぼす。
 言葉の前で人は簡単にわれを失い、何かに言葉を貼りつけたとたんに、まるで催眠術にかかったように、それが何であるかを知ったと思い込む。
ところが実際には、対象が何であるかなどわかっていない。
ただ、謎にラベルを貼っただけだ。小鳥も樹木も、そのへんの石ころでさえ、ましてや人間を究極的に知ることはできない。
 計り知れない深さをもっているからだ。
 私たちが感知し、経験し、考えることができるのは現実の表層だけで、海に出た氷山の一角よりも小さい。


その表面的な見かけの奥ではすべてが全体とつながりあっているだけでなく、すべてが拠ってきた「生命の源」とつながっている。
 石ころでさえ、花や小鳥ならなおさらのこと、「神」へ、「生命の源」へ、あなた自身へと戻る道を示すことができる。
 相手に言葉を付与したり、頭のなかでラベルを貼ったりせず、ただ手にとって、ありのままを見つめれば、驚異と畏敬の念が湧き起こるだろう。

第二章 エゴという間違った自己のメカニズム 世界をありのままに見る より抜粋


全てがつながっている事を認識する。
ヨーガの目的もこれにつきると思います。
身体がやわらかくなるとか、健康とかは、副次的なものでしょう。
やはり、せまい固定観念、因習に囚われていると、自分の心まで囚われるので、心が解放され、内部で変化がおこらない限り、物事の本質はいつまでたっても分からないのでしょう。
絶対的な自己を生まれた時から植えつけられ、それが宗教によってさらに強化されている西洋人も、東洋の思想である、ヨーガや瞑想に興味を持ち出しているんですから、地球全体で、大きな意識のうねりが起きだしているんでしょう。


西洋人は、過去に行った、侵略、植民地化、奴隷貿易などと、今後、どう向き合っていくんでしょうか。意識の変化がおこったあと。

エックハルト・トール ニュー・アースを読む その3

スピリチユアリティと宗教


新しい意識の高まりのなかで、既成宗教はどのような役割を担うだろう?
多くの人々はすでにスピリチュアリティと宗教の違いに気づいている。
信念体系――自分が絶対的真実だとみなす一連の考え方――は、どのようなものであれ、持ち主をスピリチュアルにはしない。
それどころかその考え方(信念)と自分を同一化すればするほど、自分のなかのスピリチュアルな面から切り離されていく。
「信仰心篤い」人たちの多くはこのレベルに留まっている。
思考を真実と同一視し、その思考に自分を完全に同一化しているので、自分だけが真実を知っていると主張するが、実は無意識のうちに自分のアイデンティティを守ろうとしているだけだ。
この人たちは思考の限界に気づかない。
自分の行動と信念に完全に同意しない人間は間違っていると決めつけ、そう遠くない過去には、相手を殺害することも正当化されると考えていた。
いまでもそう思っている人たちがいる。



新しいスピリチュアリティ、意識の変容は、たいてい制度化された宗教の外で起こる。
思考と概念に支配されたこれまでの宗教でも、その一部には必ずささやかにスピリチュアリティが宿る場所があった(宗教組織はそれに脅威を感じ、多くの場合、抑圧しようとした)。
しかし宗教構造の外側で生じたスピリチュアリティの大きなうねりとなるとまったく新しい現象で、これまでは、とくに西欧では考えられなかった。
西欧文明はすべての文明のなかで最も理性を重視する文明だったし、
スピリチュアリティに関しては事実上キリスト教の教会による独占体制が確立していたからだ。
教会の許しもなくいきなり立ち上がってスピリチュアルな話をしたり、スピリチュアルな本を出版したりすることは不可能だったし、そんなことをしようものならたちまち沈黙させられただろう。
ところがいまでは教会や宗教のなかにも変化の兆しが現れている。
これは嬉しい兆候だ。ヨハネ・パウロ二世によるモスクやシナゴーグ訪問もささやかではあるが嬉しい開放への歩みだった。



既成宗教の外側で盛り上がってきたスピリチュアルな教えの影響に加え、古い東洋の智恵が流れ込んだことも大きな力となって、伝統的な宗教の信者にも形や教義、硬直した信念体系へのこだわりを捨て、スピリチュアルな伝統に隠されていた深さや自分自身の深さを発見する人たちが増えてきた。
この人たちは自分が「スピリチュアル」かどうかは何を信じているかではなく、どんな意識の状態にあるかによって決まることに気づいている。
そしてそれがその人の行動や人間関係を決定する。

~第一章 私たちは、いますぐ進化しなければならない 宗教とスピリチュアリティより抜粋~


既成宗教は一言で言えば、「洗脳」でしょう。
自己を精神的に成長させる面があるのも否めませんが、特定の考え方、因習にしばりつけ自我を強め独善的にしてしまう。
現在、一部の宗教では、政治、イデオロギーと結びつき、票田と化してしまって、本来の考え方とは、ほど遠いものになっているのが見受けられます。


また上記の引用にあるように、現在は、西洋人の中でも、ヨガや瞑想がブームになりつつあり、既成宗教とは反対の、自分の意識状態を見つめなおし、特定の既成概念を取り払い、精神的に自由になろうとするムーブメントがあるように思います。